Brokeback Mountain — 牧場労働者のリアリズムへ回帰するデニム
カルチャー・サブカル · 2026-05-19 · 約2,000字 · 約4分
目次 (4)
- 2005年・ワイオミングの山で
- 西部劇が神話化したデニムを、剥がす
- 「労働着への回帰」というサイクルの到達点
- 神話と現実の往復(扱いについての前置き)
映画とデニムシリーズの中で、ここまでアメリカ映画の中のデニムを年代順に追ってきました。最後に、2005年の『ブロークバック・マウンテン』を置きます。これは本サイトがここまで書いてきた「神話化のサイクル」が一巡したあとに来る、「リアリズムへの回帰」を象徴する1本として読めるからです。
先に書いておくと、本作はLGBTQをめぐる社会的議論で記憶される重要な映画です。本記事はその主題を矮小化する意図は一切なく、デニム文化史という限られた切り口から、衣装の機能だけを扱います。作品全体の射程は本記事よりずっと広い、ということは前提として置かせてください。
2005年・ワイオミングの山で
原作はE・アニー・プルーが1997年に『ニューヨーカー』誌に発表した短篇小説です。アン・リー監督が2005年に映画化し、アカデミー監督賞・脚色賞・作曲賞を受賞しました。物語の舞台は1960年代以降のワイオミング。季節労働でブロークバック・マウンテンの羊番として出会った2人の若い男性、イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)の、長い年月にわたる関係が描かれます。
衣装の話に絞ると、2人が着ているのは徹底して過酷な季節労働者の服です。色褪せたデニム、擦り切れたウエスタンシャツ、汗と泥のしみたカウボーイハット、傷んだブーツ。ファッションとしての洗練は皆無で、1939年のスタインベック『怒りの葡萄』のジョード一家とほぼ同じ位相の、「それしかないから着ている服」として撮られています。
ここに、デニム文化史の重要な論点があります。アメリカ西部のカウボーイのデニムは、20世紀のハリウッド西部劇によって、長年にわたって神話化されてきました。ジョン・ウェインに代表される古典西部劇では、デニムやワークウェアは英雄性・自由・男らしさの記号として理想化されていた。本作は、その神話を意図的に剥がします。
ブロークバック・マウンテン [Blu-ray]
アン・リー監督・2005年公開、第78回アカデミー監督賞・脚色賞・作曲賞受賞。E・アニー・プルーの短篇を映画化。ワイオミングの羊番という孤立した季節労働の現実が、衣服の細部(色褪せたデニム、汗じみたシャツ、傷んだブーツ)まで丁寧に撮られている。本記事の『神話を剥がした労働着』というテーマを、映像で直接確認できる。
西部劇が神話化したデニムを、剥がす
本シリーズで繰り返し見てきた構造——デニムが現実の労働着から出発し、映画や文学を通じて「神話」へと記号化されていく——を踏まえると、『ブロークバック・マウンテン』の位置がはっきりします。
ハリウッド西部劇の半世紀(1930s〜1980s)は、カウボーイのデニムを「自由なアメリカン・ヒーローの制服」として理想化し続けてきました。1955年のジェームズ・ディーンも1969年のEasy Riderも、この西部神話の延長線上で「反抗」や「自由」を上書きしていった、と読めます。
2005年の本作は、この長い神話化のサイクルに対して、「では実際のワイオミングの羊番の生活はどうだったのか」という問いを正面から突きつけます。英雄性はなく、自由もなく、あるのは低賃金と孤立と肉体労働の摩耗だけ。デニムは記号ではなく、ただ寒さと労働から身を守る道具に戻されている。
これは1994年の『Pulp Fiction』の脱記号化とも、村上春樹的な無記号化とも違う、第3のかたちの「意味の剥がし方」です。Pulp Fictionは「意味をなくす」、村上は「最初から意味を載せない」。本作は、いったん神話化された記号を、批評的に剥がして現実に戻す。能動的な脱神話化、と言えるかもしれません。
(編集部内で「これは脱記号化というより再リアリズム化では」「リアリズムも一つの様式だから完全な現実ではない」「映画はどうやっても現実そのものにはなれない」と議論が深くなりすぎて、今回は「能動的な脱神話化」という言葉で一旦まとめました。例によって、議論は宙ぶらりんで終わっています)
「労働着への回帰」というサイクルの到達点
シリーズ全体を通して見ると、デニムの意味は次のような長いサイクルを描いてきました。
- 1930s 労働着としての現実(出発点)
- 1955〜1969 反抗・禁欲・自由への神話化(意味の付与)
- 1991 グランジによる破壊の記号化(神話の自己破壊)
- 1994 脱記号化の通過点(意味の希釈)
- 2005 神話を剥がし、労働着のリアリズムへ回帰(本記事)
つまり『ブロークバック・マウンテン』のデニムは、約70年かけて一周してきたデニムの意味のサイクルが、再び出発点の「過酷な労働着」へと戻ってきた到達点として読めます。ただし、最初の1939年とは違い、2005年の観客はこの間の神話化の歴史を全部知っている。同じ「労働着としてのデニム」でも、神話を経た後に意図的に剥がされた労働着は、最初の素朴な労働着とは意味の重みが違う。
戦後アメリカ文化のデニム神話と、その脱神話の往復運動の全体像は、引き続きW.デーヴィッド・マークス『AMETORA』が参考になります。原作小説で本作の世界をより深く読みたい場合は、E・アニー・プルーの短篇集(邦訳)も入口として優れています。
ブロークバック・マウンテン (集英社文庫(海外))
E・アニー・プルー著・米塚真治訳。映画の原作となった短篇を含む集英社文庫版。映画より遥かに短い原作には、ワイオミングの労働と風土の描写が凝縮されており、衣服(デニム・ウエスタンシャツ)が記号ではなく生活の条件として書かれている。本記事の『労働着への回帰』というテーマを、文学のテクストで確認したい読者向け。
神話と現実の往復
本記事を含めて、「カルチャー・サブカル」カテゴリのデニム文化史シリーズは、結局のところ「デニムという1つの衣服が、神話化と脱神話化を何度も往復してきた」という1本の長い線を、別々の作品から照らしてきました。
ジョード一家の労働着が、ディーンの反抗の制服になり、ヒッピーの自由の制服になり、ビートの禁欲の制服になり、グランジの破壊の記号になり、タランティーノの脱記号化を経て、村上の無印になり、そして『ブロークバック・マウンテン』で再び過酷な労働着へ戻る。同じ綿・綾織・インディゴからできた同じ物体が、これだけの意味を背負い、脱ぎ、また背負ってきた。
あなたが今穿いているそのジーンズには、この70年以上の往復運動が、目に見えない地層として薄く沈殿しているのかもしれません。シリーズの締めくくりとして、例によって最後にこう書いておきます——今回も、半分くらいは本気でそう思っています。牧場労働者が実際に穿き込んだような、色褪せて使い込まれたウエスタン系のデニムは、セカンドストリートで出会える可能性がある。
主な参照
- E・アニー・プルー『ブロークバック・マウンテン』(集英社文庫・米塚真治訳)
- 映画『Brokeback Mountain』(2005年, アン・リー監督)関連資料
- W.デーヴィッド・マークス『AMETORA — 日本がアメリカンスタイルを救った物語』DU BOOKS
- アメリカ西部劇の図像史・カウボーイ表象研究 関連資料
- Costume Designers Guild / Academy Awards 関連資料
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